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≪SUMMER OF MAGICIANS≫




 
弐 魔法教義
 
 
 
 昨日の、あのバスは一体どうなったのだろう。
 地方テレビのニュースも新聞も全てチェックしたがバスが関わる事故や事件は一切無かった。
 僕の勘違いだったのか。それとも危険に気付き、回避したのか。
 登校の途中、全く同じバスが走っているのを見た限りでは危機を回避したとしか思えない。事故に遭ったかのような傷が特徴的なバスだったので、見間違いではないと思う。
 ひとまずはそれで一つ安心できた。
 けれど、どうしても分からないのが昨日の男と女の子だ。
 超常現象を操っているかのようにしか思えない。一体何者だというのか。シガンと、何の関係があるというのか。
 お腹が空いたではないか。
 今日はカレーが食べたい。
 空腹が思考に侵入してきた。ひとまず昨日の事を考えるのは一時中断し、空腹を忘れるために眠ることにした。
 終業式に限らず、式典は眠るに限る。
 姿勢を固定し、目を瞑った。式典が終わる頃に起きれたらベストだ、と思っている内に、意識は遠い宇宙へ飛んでいった。
 地球の周回軌道を二周ほどしたところで目が覚める。ちょうど、起立、という声が聞こえたところだった。慌てて教頭先生の指示に従って立ち上がり、続けて礼をした。
 ほどなくして式は終わる。僕も含め、生徒はそれぞれの教室へ戻る。教室でホームルームが終わり、いよいよ夏休みが始まった。正確には夏休みが始まるのは明日からだが、午前中で放課になるのでたった今から夏休みだと言っても差し支えはしない。
 涼子はクラスの友人と楽しそうに話をしている。敬一は机に突っ伏していた。寝ているらしい。
 窓の外は晴天。青い空、白い雲。昨日雨が上がって以来、降ってはいない。いよいよ梅雨が明けたのか。
 軽く溜息をついて鞄を持つ。なんとなく、気分がいい。屋上へ行ってみることにした。
 教室を出、廊下を歩き階段を昇る。五分にも満たない時間で目的の屋上に辿り着いた。熱い日射しと青い空が出迎えてくれる。
 気持ちがいい。
 屋上には安全のため金網のフェンスが張り巡らされている。そして、そのすぐ内側には幾つものベンチが備え付けられている。僕はその一つに座った。空を仰いで目を瞑る。
 ああ、なんだか、とても平和だ。
 昨日のことを思うと、さらにこの平穏の楽しさ、大切さが分かる。
 このまま眠ったら、さぞかし気持ちいいだろう。
 それにしても朝から身体が痛い。筋肉痛だ。思い出してみれば、昨日は色々と激しく運動をした。
 本当にこのまま眠ってしまおうか。
 ああ、でも、お腹空いたなぁ。
 カレーが食べたい。
「カレ〜、カレ〜、食べたいな〜」
「なに変な歌、歌ってんだ、お前」
 目を開けると敬一が立っていた。近付いてくる気配は全く感じられなかった。相変わらず足音を消す特訓をしているのだろう。
「カレーが食べたい」
「俺、ときどきお前が分からなくなるよ」
 頭を掻きながら呆れた顔をする。
「つまり、カレーを食べたい思いが歌になって出てきたんだ」
「わけわかんねぇ」
「僕の歌を聴けぇ!」
「そんなことより、お前、こんなところで何してんだ?」
「ちょっとのんびりしてたんだ。君だってここまで来たんだから似たようなものでしょ」
「まあな」
 会話をしていると、涼子も姿を現した。僕の隣に座る。
「やっぱりここだったんだ」
 涼子の髪が風に揺れる。ほのかにシャンプーの匂いが漂ってきた。
「やっぱり、って何?」
 僕は訊いた。
「なんとなくここじゃないかって思ってたの。政樹の行動パターンって結構単純だし」
「単純? そうなの?」
 敬一に振る。
「知らねぇ。まあ、政樹と一番付き合いの長い涼子が言うんだから、間違いではないんじゃないか」
「ちょっとショックかも」
 とは言いつつも全然ショックなんかではない。行動が単純だからといって性格その他まで単純というわけではない。
「じゃあ、行こうか、二人とも」
 立ち上がり、二人に向かって言う。
「お昼、一緒に食べ行こう」
「うん」
「ああ、そうだな」
 僕たちは学校を出た。
 沢山の生徒らの姿が見れる商店街。子供の姿もあり、賑やかだった。そんな人の波の中、僕と敬一は議論を続けていた。
「カレー屋に、行くんだ」
「いや、牛丼屋だ」
 僕の好物の一つはカレーである。朝から食べたかった。
 一方、敬一の好物の一つには牛丼が挙げられる。昨日から食べたかったそうである。
 つまり、どこの店に行くかで揉めているのだ。
「君さ、なにかあるといつも牛丼食べてるよね。君の額に肉って書かせてくれたら、牛丼屋に行ってもいいよ」
「お前だっていつもカレー食べてるじゃないか。どっかのメガネ先輩じゃあるまいし、たまには別のものを食べろよ」
「この前は牛丼屋だったじゃないか」
「牛丼屋にはカレーもあるだろう。カレー屋には牛丼ないんだよ」
「牛丼屋のカレーなんてカレーじゃないっ」
 ちなみに、涼子は一歩退いて他人のフリをしている。ホットケーキが美味しいことで有名な喫茶店へ行きたいと言っていたが、僕と敬一で即刻却下した。
 そんな折、ラーメン屋に通りかかる。美味しそうな匂いが店から流れてきた。醤油ラーメンが食べたい。
「ここにしようか、敬一」
 店の入り口の前に立って言った。
「奇遇だな。俺もそう思っていたところだ」
 一歩退いていた涼子が僕らに追いついてきた。驚いたような呆れたような顔をしている。
「カレーか牛丼で揉めてたんじゃなかったの?」
 僕は大真面目な顔をして答える。
「涼子、戦いからは何も生まれないよ。僕たちは分かり合えたんだ」
「お前、今日はやけにテンション高いな」
 敬一が突っ込む。涼子はそれを気にしない。
「要するに、二人ともラーメンが好きだったってことね」
「その通りだ、ヤマトの諸君」
 胸を張って、低い声で答える。
「おい、もう止めとけ。元ネタが分からない相手に言っても軽蔑されるだけだぞ。いや、元ネタが分かる人に言っても軽蔑されることはあるだろうが……」
 腕を組み、涼子は半眼でこちらに冷たい視線を送っている。少々悪ノリしすぎたようだ。以後、気を付けよう。敬一の言い分はもっともだ。
「ま、まあ、それはさておき、今日の昼食はラーメンに決定したわけなんだ。いいよね、涼子?」
「はいはい」
 僅かに二回頷く。
「敬一、あんまり政樹を染めないでよね」
 不機嫌そうに敬一に向かって言った。
「え? これって俺の責任なのか?」
「当たり前でしょう」
 そう残して涼子はさっさと店に入っていった。
 敬一が困った顔でこちらを見る。
 肩を竦め苦笑いで返す。僕らも店に入った。
 
 
 食事は至って静かに行われた。
 軽く食べれるハンバーガーやサンドイッチなどの類を除く外食の場合、僕たちの食事には殆ど会話がない。
 単に、僕と敬一が食べるのに集中するだけである。涼子も、そんな状態の僕らと話をしても面白くないのか、こうなると僕たちを倣って静かになる。もしかすると、僕らと同じように食べるのに集中するようになったのかもしれない。
 食べ終わるまで、昨日の出来事を思い出し、考える。
 コートの男の腕から放たれた閃光。
 異常な跳躍。火炎放射。
 夢か幻を見ていたという可能性が一番高い気がする。けれど、僕の心がそれを認めはしない。曖昧な部分などなく、全てをはっきりと覚えている。あの後だって、僕は自分の足で、超常現象の爪痕を見ながら家に帰ったのだ。
 では、夢や幻でないとしたら――
 一つの単語が思い浮かんで、苦笑いした。
 確かにその言葉一つで全てが説明できそうだ。
 しかし、流石と言うか、僕の思考回路は確かに、アニメオタクチックだ。本当にそうかもしれないとさえ思ってしまっている。
 魔法。
 コートの男も、女の子も、魔法使いだった。シガンも魔法使いだった。なんらかの争いに巻き込まれて僕は襲われた。
 魔法というものが存在すると仮定すれば、それなりに筋が通った話になるように思える。
 こういう、妄想にも近い空想をする癖はまだ残っている。
(いや、待てよ)
 そういえば、四年前、誰かがそれを裏付けるようなことを言っていたような気もする。
 誰が何と言っていたのか。そこまでは思い出せなかった。
 器に最後に残ったナルトを口に運ぶ。スープを飲み干し、醤油ラーメンを完食した。
 次いで、敬一が味噌ラーメンを完食する。涼子はスープを残し、僕らが食べ終わるのを待っていた。
 食事が終わり次第、僕たちは会話に入る。
 涼子が先手を取った。
「魔法って、あると思う?」
 驚いて涼子を見る。心の中を見透かされていたかのような展開に少々焦った。
 一度、深呼吸をしてから答える。
「あ、あるかもね」
「ギャング、か」
「は?」
 敬一の意味不明な解答に涼子が口をOの字に開けた。
「……もしかして、アル・カポネって言いたい?」
「さすが政樹。よく分かってくれた」
「あるかもね、とかけてた?」
「愚問だな」
「ボールでドム六機?」
「ウモンだな。なるほど、いい切り返しだ」
 にやりと笑う。
「で、魔法がどうしたの、涼子」
「あのさ、いきなりオタクな話に飛んで、いきなり元の話に戻ってくるって、付き合うの疲れるんだよ?」
 涼子は大きく溜息をつく。
「あ、ああ、ごめん。少し控えるようにするよ」
「切り替えが大切だぞ、涼子」
「そもそも切り替えの利かない話をしてるのは誰よっ?」
 声を荒げたすぐ後、肩を落とし、もう一度溜息をついた。
「もう、本当に疲れる」
 涼子は敬一を睨み、そしてようやく彼女の話が再開される。
「政樹は、あると思う?」
「まあ、あるかもね。存在する可能性はゼロじゃないと思うよ」
 ふうん、と洩らし、涼子は手を頬に持っていった。
「じゃあ、目の前に魔法使いとかが現れたりしたら、どう思う?」
「さあ。とりあえずこちらに危害を加えるつもりが無ければ、どうも思わないんじゃないかな――」
 シガンやコートの男たち、昨日の女の子を思い浮かべる。
「――火を出せたり、高く跳べたりしたって、結局は、人間なんだろうからさ。そりゃ、目の前にエイリアンが現れたりしたら、ヤバイとは思うだろうけど」
 敬一は会話に参加せず、傍聴している。店内には扇風機が回され、ラジオからは演歌が聞こえる。調理場の熱気が手伝い、下手をすると外よりも暑いかもしれない。
 と、ふと気配を感じた。昨日何度も感じた危険と比べればずっと小さく、見逃しても被害はない程度のものだった。
 首を傾ける。
 シュッ、と風を切る音。
「なにしてんの、敬一」
「いや、なんとなく」
 敬一の手刀が僕の左肩に触れている。
「なんとなくで人にチョップかまさないでよ」
 敬一は手を引っ込める。僕も傾けていた首を戻した。
「しかし、よく躱せたな」
「うん、まあね」
 僕と敬一のやりとりを見ていた涼子は、頬に当てていた手を顎に移し、何か納得したような顔をした。
「仲良いね」
「いや、この状況は、仲が良い筈の人物から突然の襲撃を受けた好青年の図なんだけど」
 そう? と涼子は微かに笑った。
「お前、好青年って意味知ってるのか?」
「僕、好青年だよ」
「あ、そ。んじゃ、そろそろ出ようぜ」
 言って、敬一は伝票を持って席を立った。三人バラバラに会計を済まし、店を出る。
 その後、カラオケに行った。午後七時頃に店から出る。
「それじゃ、また」
 僕は軽く手を振って二人と別れた。涼子は大きく手を振り、敬一は敬礼の様な角度と高さで手をあげた。
 辺りは薄暗くなってきている。空にはまだ明るい場所も残っているが、街灯は灯り、自動車もライトを点けて走行している。自転車はライトを点けずに走っているものが大半であった。
 取り敢えず、ぶらぶらと歩く。一応、目的地は決まっている。家から二、三キロメートルは離れている大きめの公園である。
 もう無駄かもしれないけれど、自宅の場所を知られるのはまずい気がした。相変わらず危険の気配は感じないけれど、学校を出た辺りから感じている気配は消えていない。つまり、僕に用事があり、会話を望んでいる。僕が一人になるのも待っていたようだ。
 姿を隠そうとしない所から尾行しているわけではないのだろう。
 公園に到着した。
 暗くなったためか、あまり人気がない。それでも、まばらに人はいる。比較的、人の集まっている場所を探し、そこへ向かった。
 この公園の売店は、売店というより喫茶店に近い感じで、店先にテーブルなどが並んでいる。他の場所より人がいる。
 売店でコーラとたこ焼きを買って適当なテーブルに座った。人がいればいきなり襲われることはないと思う。それに、町中よりは隠れる場所があるだろうから、万が一のとき逃げられる可能性が高いはず。
 昨日のように、異常なスピードで追われては何処だろうとあまり変わらないだろうけど。
 学校を出た時から尾けられている。涼子や敬一が気付いた様子は無かった。僕だけが二度出会っている。だからこそ、僕だけが気付いたのだろう。
 その人物は、僕と同じテーブル、向かいの席に座った。
「イリアさん……だったね」
 間違いなく、一昨日、昨日と出会った外国人の女の子だった。
「はい、昨日はどうも。シガン」
「取り敢えず、昨日はありがとう。お陰で命拾いしたよ」
「いえ、一応、仕事ですから」
 昨日とはうって変わって表情は柔らかい。あまり警戒しなくてもいいかもしれない。
「それで、今日はどんな用件? っと、その前に言っておくけど、僕はシガンじゃない。シガンは、もう、亡くなったよ」
 目を伏せ、目の前の彼女から顔を逸らした。
「ええ、ですから、あなたがシガンのはずです」
「意味が分からないよ」
 僅かに首を横に振る。
「あの、先代からは何も聞かされていないのですか?」
「先代?」
「はい。その……あなたが四年前にお会いになった……」
「そう……。シガンが、先代、なのか。僕は、何も聞いていないよ。名前だって聞いてないし、何者なのかも知らない」
「そう、ですか……」
 すると、イリアは何か思いついたように声を上げる。
「では、この後お時間いいですか? ゆっくり食事でもしながらご説明させていただきます」
「時間?」
 腕時計を見る。午後八時に近い。売店はもう閉店の準備に入っている。おそらく、あと五分以内に親から電話が掛かって来るに違いない。明確に門限など定められた覚えはないが、親からしてみれば門限オーバーということになる。
 このイリアという娘は、一応、僕に危害を加えるつもりはないらしい。もしそうなら、とっくに何かしらのアクションを見せているはず。今のところは信用してもいい。
 それに、あのシガンが何者だったのか、知るチャンスでもある。
「時間……はこれから作るよ。僕の方も、色々訊きたいことがあるから」
 と、そこに予想通り電話が掛かってきた。
「ちょっと、失礼」
 見ると、やはり家からの電話だった。これから友人と食事に行くと親に伝える。午後十時までには帰ってこいと言われたが、一応、認可された。
「えっと、OKだよ」
「はい。では、行きましょうか」
 席を立つ。
「で、どこで食べるの? ラーメン屋あたり?」
「ホテルのレストランで」
「え。ち、ちょっと待って」
 慌てて立ち止まる。イリアは不思議そうにこちらを見る。
「確か、君、MKグランドホテルに泊まってるんだよね?」
「ええ、それが何か?」
「まいったなぁ。僕、そんなにお金持ってない」
 高級ホテルのレストランが高級なのは当然。高級が高価であるのも自然。僕の財布の中身は全然。というわけなのである。
「あ、気にしなくても大丈夫ですよ。経費で落ちますから」
「それでも、ちょっと」
 服装が気になる。制服は学生の正装だけど、うちの制服にはネクタイがない。平気だろうか。
「ちょっと、待ちなさいっ」
 と、突然、声が響く。
「涼子?」
 涼子が現れた。僕とイリアの目の前に立ち塞がる。肩で息をしている。どうやら走って来たらしい。
 イリアは驚いたのか、呆然としている。
「あなた、政樹と何を話していたのかは知らないけど、政樹を連れて行かせるわけには行かないわ」
 涼子はイリアを睨む。一体なんだというのか。
「り、涼子? どうしたの」
「政樹、無事? こっち来て」
 手を引かれ、涼子の背後まで誘導される。僕の目の前で涼子とイリアが対峙する。
「あなたが組織の者だということは分かっているわ。目的は何? 政樹をどうするつもり?」
「あなたは、ワイズマンの……」
 イリアは納得したような顔をし、すぐ元の表情に戻る。
「安心してください。シガンに危害を加えるつもりはありません。私はただ、迎えに来ただけです」
「つまり、魔法使いの素質のある人物を誘拐していく、ってことだな?」
 背後から声が近付いてきた。僕の前、涼子の隣で立ち止まる。敬一だった。
 それを見て、イリアは一歩退く。
「今、退けば何もしないわ。けど、どうしても政樹を連れて行くというのなら、私は――」
 キッ、と睨み、間合いを詰める。僕は二人の間に割って入った。
「涼子? 何を物騒なことを言っているんだ。確かにこの娘は危険な人物かもしれないけど、危害を加えるなんて言ってないだろ。敬一も、止めてよ。変だよ、二人とも。まず言動が変なんだっ」
「シガン……」
 僕は振り返り、イリアを視界に収める。
「お食事は、またの機会に」
 微笑み、イリアは背を向け、そのまま去っていった。
 僕は涼子と敬一を交互に見つめる。
 はあぁ、と大きく息を吐いて敬一が肩を落とす。
「どうなることかと思ったぜ」
「政樹、良かった」
 涼子が涙ぐんで抱きついてきた。
「涼子……」
 されるがままにする。
 今の、ほんの一、二分程度の間に感じていた気配が消えて、とりあえず僕は安心した。
「……説明して、もらえるかな?」
 頃合いを見て、僕は言った。
 
 
 チッ、チッ、チッ、と時計が秒針を刻む音が響く。敬一宅の居間で僕、涼子、敬一の三人はそれぞれ向かい合ってソファに座っていた。結局、夕飯は敬一にご馳走になった。
 ひどく静かだった。
 まずは何かを食べようと提案したのは敬一で、三人で和やかに食卓を囲んでいたのは数十分前。片付けが終わり、今は、涼子たちが話すのを待っている。
 僕にとってはさっぱりな状況だったが、あの時の二人の表情から考えて、何か、ただ事ではないことになっているような気がした。
 途中までは、危険の気配は無かったが、二人が現れてから突然、気配が濃くなった。多分、危険が迫っていたのは僕ではなく涼子と敬一だった。だから僕はあの時、間に割って入ったのだ。それが最良だと思ったからで、それは恐らく、正しかった。
 涼子は指を組み、それを膝の上に置いている。何かを考えるように宙を見つめ黙っている。敬一も黙ったまま腕を組んでいる。
「僕から何か話そうか?」
 なんとなく沈黙に耐えられなくなって、口を開く。一曲歌おうか、と訊こうかとも思ったが、冗談を言って場が和みそうな雰囲気ではなかった。
「ん。うぅん、いいよ。私の方から話す」
 ようやく決心がついたのか、涼子は言う。
「けど、その前に一つ訊いてもいい?」
「うん、なに?」
「その……、政樹は、シガンなの?」
 え? と、とっさに聞き返してしまう。
「だって、さっき、そう呼ばれてた、でしょ?」
「うん、そうなんだけど。なんか、シガンって呼ばれるんだよ。その、僕には何でそう呼ばれるのか分からないんだけど」
「分からない、って何か心当たりもないの?」
「ない、こともないけど……」
 眉をひそめ、頭を掻く。
「その……、シガンって、僕の知り合いだったんだ。こっちに引っ越してくる前の」
 涼子は驚いたように目を見開いた。
「じゃあ、シガンと勘違いされてるって事?」
「いや、多分それはないよ。シガンはもう、……亡くなってるし。それに、シガンが亡くなったからこそ、僕がシガンだって。僕の知ってるシガンを、先代って言ってた」
 すると、涼子は手で口元を押さえ、黙り込んだ。
「えっと、僕はさっきの娘――イリアっていうらしいんだけど、彼女から、その辺の説明をしてもらうところだったんだ。さっきね」
「そう、そうだったんだ。でもついて行かなくて良かったよ。間違えたら誘拐されちゃうんだから」
「さっき敬一が言ってたこと? まあ、怪しいとは思ったけど、あの娘、色々知ってそうだったから。僕も、気になることがあってさ」
 涼子は、ふうん、と洩らす。敬一は相変わらず黙ったまま、目を瞑り、腕を組んでいる。敬一のことだから寝ているのかもしれない。
「えと、それじゃあ、話すけど。出来るだけ分かりやすく話すね」
「あ、ちょっと待った」
 手を出して制止する。
「なに?」
「いや、ちょっと疑問。なんでさっき二人が来たのかな、って。帰ったはずでしょ? それに、誘拐だとか危ないとか、あの娘はなんなの? 何者なの?」
「えっと。……う〜ん。それはあとで話した方がいいかな。順を追って説明した方が分かりやすいだろうから。あ、言っとくけど、変なこと考えて追いかけたりしたわけじゃないからね」
「分かったよ。じゃあ、説明お願い」
 と、涼子はいきなり困ったような顔をした。
「でも、信じてもらえるかな……」
「なに、大丈夫さ。政樹はそこまで頭が固い奴じゃない。それに、いざとなりゃ見せてやればいいだろう」
 敬一が口を出す。寝ているのかと思ったが起きていたようだ。
「敬一も、何か知ってるんだね」
「いや、昨日、涼子から聞かされたばっかりさ。涼子が知らない情報は俺は持ってはいないよ。というか、まだ全然消化しきれてない」
 言い終えて、敬一は涼子に目で合図する。
「じゃあ、本筋からは少しずれるけど、一から説明するね」
 涼子は一旦、間を置いた。
「この世界には物理法則とは全く異なった、もう一つの法則があるの。ある、というより現れる時がある、って言った方が正しいかな。それは、私たちの物理面が存在する次元とは別の次元の法則と言われていて、本来ならいま私たちが見ている世界に干渉することはありえないことなんだけれど、ある事柄がきっかけになって、物理法則とは全く異なったもう一つの法則、精神法則って仮称されてるけど、それがこちらの次元に干渉、影響して、物理法則を完全に無視した超常現象を引き起こすことがあるの」
 なるほど、である。
 敬一がまだ消化しきれないのも無理はない。文章に起こされれば多少は分かりやすくなるだろうけど、こうやって口で、よく分からない話をされれば、理解には時間が掛かって当たり前だ。敬一はよく頑張っている。
 それはさておき、ちょっと待って、と僕は涼子の説明を一時中断させた。
 なに? と涼子は聞き返す。
「長い話になりそうだから、ちょっと家に電話してもいいかな? 十時までに帰るって言ったんだけど、そうも出来そうにないからさ」
「あ、うん。いいよ」
「敬一。今日、泊めてもらってもいいかな?」
「ああ、俺は構わないぜ。んじゃ、俺はその間、コーヒーでも淹れてくるよ」
 敬一は席を立った。僕は自宅に電話を掛ける。少し怒られたが、両親と話はついた。外泊の許可が下りる。おそらく、涼子も一緒にいると話したら許可は下りなかったろう。
 この間に涼子も自宅に連絡していた。何と言っているのかは分からなかったが、遅くなる旨を伝えたか、外泊する旨を伝えたかのいずれかだろう。大差は無いと思う。
 やがて敬一がコーヒーカップを盆に載せて戻ってきた。それぞれにカップを配り、もとの席に座る。砂糖とミルクも用意してあった。
「それじゃあ、涼子、話を続けて」
「うん、分かった」
 砂糖とミルクを入れたコーヒーをかき混ぜながら言う。
「え〜っと、どこまで話したっけ?」
「物理法則とは違う法則が超常現象を引き起こす、とかって所までだったと思うよ」
「ああ、そうそう。それで――」
「あのさ、質問いい?」
 話を遮った。ここで分からない部分の説明を一応でもしてもらわないと後で頭がナルトになってしまう。ラーメンの具になって食べられるのはゴメンだ。そういえば今日のラーメンは美味しかった。
「あ、うん。いいよ」
「えっとさ、物理面って何?」
「そう、それ。俺もよく分からなかった。一応、考えてこういうものじゃないかって仮説は立てたが、どうもな」
 敬一が顎に手をやり、口を挟む。
「そう、ごめんなさい。説明不足だったね」
 コーヒーカップに口をつける。
「人の身体と精神で話せば分かりやすいかな。私たちの身体が存在する場所を物理面。精神が存在する場所を精神面と呼称しているの。この二つの面は、いわば一枚の紙の両面みたいに近くて遠いの。物理面が精神面に、精神面が物理面に影響を与えるのは、一個の生命体の中、もしくは生命体同士でなら簡単だけど、それ以外では、この二つが直接影響することは有り得ないの。ただし、生命体同士で精神面が精神面に影響を与えるのは対象が自分自身の時だけで、他の生命体の精神面に影響を与えるには物理面を通す必要があるわ」
 つまりは、僕たちの身体がある世界と精神がある世界は同一ではなく別々であり、滅多なことでは影響しあったりはしないが、人と人が会話したり、自身で悩んだりすることで、精神が肉体、肉体が精神に影響を及ぼしたりする。それぞれが影響を及ぼすのは、対象が自身を含めた生命体の時だけ。
 ただし、他人の精神を動かす場合には、双方の肉体を通さなければならない。精神が文句を考え、肉体がそれを発する。それを相手の肉体がキャッチし、精神に伝わる。という具合。
 こんな感じで理解しておけば良さそうだ。なるほど、大方は理解した。ややこしい。涼子は説明不足というか、説明過剰という気がする。
 この場合は、人の身体を初めとする物理的な物体が存在する場所が物理面、人の精神などの明確な形も質量もない概念的なものが存在する場所を精神面、と説明してくれれば話は早かった。
 まあ、責めたりはしないけど。
「なるほど。俺が考えてたのと少し違うが、大方は間違ってなかったか」
「僕の方もOK。取り敢えず、今までの話をまとめると――
 物理面と精神面でそれぞれに法則があって、なんらかのアクションで精神面側の法則によって物理法則を完全に無視した事象が起こってしまう時がある。物理面で。
 ――って感じで、いいのかな?」
「うん。まあ、そんな感じ」
「分かりやすくなったな」
「涼子、続きをどうぞ」
 涼子は頷く。
「それで、この超常現象を人為的に起こすことが出来る人間がいるの。この、人為的に起こされる超常現象には二種類あって、道具や言葉、図形などを用いて起こすのが魔術、道具も何も無しに引き起こすのが魔法と呼ばれてるの――」
 昨日の二人を思い出す。コートの男と、イリアという女の子。あの二人の周りで起きていたことは、彼女らの魔法ということらしい。
「――それぞれの使い手は魔術師に魔法使いね」
 と、涼子は不安げに顔を曇らせる。
「……ねぇ、政樹。えと、こんな話、信じられる? 私の言っていること、信じてくれる?」
「そうだね。確かに、信じがたい話だよね」
 涼子は俯いた。
「そう、だよね。変だって思うよね」
「ああ、でも僕は信じるよ」
 涼子は嬉しそうな顔をする。
「なんか、少しだけど、それでいろいろ合点がいったしね」
「え、どういうこと?」
 少し首を傾けた。
「いや、あのイリアって娘、魔法使いだったんだなぁって」
「ええぇっ、あの娘、政樹に何かしたの!?」
 身を乗り出してくる。やや身を退き、両手を出して涼子を制止する。
「いや、違うけど……」
「なにかあったの? 詳しく教えてよ」
 う〜ん、と唸りながら頭を掻く。
「まあ、話せば長いんだか、短いんだか――」
 僕は、昨日の出来事――涼子と別れてから、コートの男に襲われた事を二人に話した。
「……」
 涼子は黙っている。
 敬一は、そんな涼子の様子を見て黙っている。
 僕は、あはは、と苦笑いした。
「そんな大変なことがあったのに、なんで今まで黙ってたのよ!」
 またも身を乗り出してくる。敬一が立ち上がり、どうどう、と言いながら涼子の肩を押して席に強引に座らせる。
「別に黙ってたわけじゃないんだけど……。いやほら、話しても信じてもらえないだろうと思ってたし、話す機会も無かったから」
 ふう、と涼子は溜息を吐く。落ち着いた様子で言う。
「まあ無事だったからいいけど。ホント、怪我が無くて良かった」
「運が良かったんだよ。あの娘――イリアが助けてくれたし」
「まあ、涼子……話を続けろよ」
 敬一が言う。手を頭の後ろで組んで、ソファに身を沈めた。
「あ、うん。分かった」
「ところで、まだ本筋に入らないの?」
「もうすぐよ。確かに前置きが長かったとは思うけど、話しておかないと後が面倒だと思ったの」
「分かった。じゃあ、よろしく」
 時計を見たら、もうすぐ午後の十一時だった。
「――魔術は、専門的に学べば誰でも使えるけど、魔法は違うの。生まれつきか、もしくは素養のある人が後から覚醒する力で、使える人は限られるわ。まあ、魔術も専門的に学べる場所なんてほとんど無いからこっちも使える人は限られるけど」
 涼子はとっくに空になったコーヒーカップを持ち、敬一をジッと見つめた。両者の間に無言の会話がなされる。敬一が折れた。
「分かった分かった。政樹、お前もコーヒーおかわりするか?」
「ああ、うん。コーヒーじゃなくて紅茶があればそれでお願い」
 OK、と敬一はカップを盆に回収して席を立つ。
「あ。ダージリンで頼むね」
「注文が多いぞ」
 敬一は台所に消えた。
「ここからが重要よ」
 涼子は話を続ける。
「魔法使いや魔術師が沢山集まって一つの組織を作ったの。極悪非道なやり方で、魔法の素養のありそうな人物を探して、仲間に加えてる。時には誘拐したり、力でねじ伏せたり、正義面して参加を促したり……」
 涼子は膝の上で手を握った。制服のスカートが指に巻き込まれ、シワが増える。
「じゃあ、もしかして――」
「そう。さっきの娘も、組織の一員よ。間違いないわ」
「何で分かるの?」
「組織のメンバーが必ず持っているものを持ってたわ」
「……なんでそんなに詳しいの?」
「それは――」
 涼子は僕から視線を逸らした。
「――また今度にでも話すね。今日の話にはあんまり関係ないし」
「そう? なら、また今度だね」
「うん。それで……、あっ、忘れてた」
「ん?」
「魔法。まだ説明しなきゃいけないことがあったこと忘れてた」
 敬一が戻ってきた。カップをそれぞれに配り、もとの席につく。配られたカップに口をつける。注文通り、ダージリンだった。
「感謝」
 言うと、敬一は片手を上げて応えた。涼子も礼を言う。
「それで、忘れてたことって?」
「うん。魔法の種類についてのこと」
「魔法に種類があるんだ? 風火水土の属性とか、攻撃、補助、回復とか?」
「そんなわけないでしょ。ゲームじゃないんだから」
「そりゃそうだね」
 何故か敬一が声を出さず苦笑いをしている。
「なに? どしたの、敬一」
「いや、何でもない」
「何でもなくて笑ってるならアブナイよ?」
「気にするなって事だよ」
「分かってるよ、冗談さ」
 話を戻す。
「で、魔法の種類って?」
「大きく分けて三種類」
 指を三本立てる。
「エネルギーを精神面から物理面に注ぎ込むことで、様々なものを発生させる、一番使い手の多い魔法。人が想像する魔法に一番近い形で使い手も多いから、正魔法と呼ばれているわ。これが一つ目ね」
 指を一本倒す。
「これは、空気に味をつけたり、鉛筆に切れ味を持たせたりって感じの事が出来るの。普通の物に、概念的なものを発生させ与えることが出来るってことね。応用で、アニメみたいに火を出したり、氷を飛ばしたりも出来るね」
 聞いて、イリアもコートの男も正魔法を使っていたという事を理解する。
「それは、凄いね。何でも出来るじゃないか」
「そうね。けど、上手く使いこなすにはよほど才能がない限りは、長い訓練期間が必要ね。あくまで精神面の力、つまりはイメージ力っていうエネルギーを使うから、思い通りに制御するのが難しいの。それに大抵、時間にしても数秒しか効力を成さないわ」
 涼子はコーヒーに口をつけ、続ける。
「二つ目は――」
 二本目の指を倒す。
「――そう……政樹、テレパシーとかって知ってるよね?」
「そりゃ知ってるよ」
「あれも魔法の一種よ。他にも、予知とか透視とか読心とか。そういう、正魔法とは違う特殊な能力を、準魔法って言うの。色々沢山種類があってそれぞれ原理は違うけど、精神面が物理面から情報を読みとって自己の脳で処理しているってところは共通ね」
 準魔法という単語に、耳が反応する。どこかで、聞いた事があるような気がする。思い出す前に涼子が続けていく。
「それで、最後の一つ」
 最後の一本の指を倒し、涼子は手を下ろした。
「逆魔法って言われているわ。正魔法とは全く逆。ものから何かを奪う――消失させる魔法。これに関してはあんまり研究が進んでないらしくて私もよく知らないけど、物質の精神面に存在する概念を自己の精神面に吸収しているものだと思うわ。
 刃物から切れ味を奪ったり、分子から結合力を奪って物質を崩壊させたり、ね」
「それは、怖いね。何か飛び抜けてて現実味がないけど」
「私だってそうよ。けど、本当に使い手がいるんだから」
 ふう、と涼子は溜息を吐いてソファに身を沈める。少しの間目を瞑る。目を開け、上体を起こすとコーヒーに口をつけた。
 さっきから色々と、なんだか別人みたいに話していたが、コーヒーを飲むその仕草は涼子そのものだった。それを久しぶりに見たような気がして、僕はなぜだか安心した。
「それで……、えっと、組織があるって話はしたよね?」
 僕は頷く。
「そう。それで、ね。組織の創始者は二人いるの。本名じゃなくて、通り名しか私は知らないけど、ワイズマンと、シガンという二人らしいの」
「シガンッ?」
 真剣に涼子を見つめた。今まで以上に涼子の言葉に耳を傾け、集中する。
「そのシガンって通り名、実は逆魔法使いの称号なの」
「称号?」
「逆魔法使いは、常に世界に一人しかいないそうよ。一人が死ぬ時に誰かに継承されていくって。何か儀式があるそうだけど……」
「北斗神拳の一子相伝みたいかな」
 敬一が言う。僕は真剣に答える。
「いや、それは正確じゃないよ。あれには、分派があったし」
 紅茶に口をつけ、一息つく。
「……じゃあ、僕が逆魔法の使い手だって思われているわけだね?」
「そうだと思う。もしかしたら本当に逆魔法使いかもしれないけど。政樹、シガンと知り合いだったんでしょ。なにか、継承の儀式とかしなかった?」
「それらしいことは、無かったよ」
 思い出してみるが、本当にそんな、儀式を行ったような覚えはない。そもそも、彼から魔法を連想することなど、今でも出来そうにない。
「つまり、イリアは僕を逆魔法使いだと思って――」
 おそらく、あのコートの男も、勘違いして狙ってきたに違いない。
「うん、それもあるだろうけど。それだけじゃないかもしれない。それだけじゃなくなるかもしれない」
 どういうことか分からず、僕は首を傾げる。
「政樹も、準魔法持ってるじゃない。あのイリアって子が知ってるかどうかは知らないけど、もし知ってるとしたら政樹がシガンであろうと無かろうと関係ないじゃない。連れて行かれちゃう」
 言われて、思い出す。誰だったかは忘れたが、僕は一度、確かに準魔法使いと呼ばれたことがある。
「……ってことは、この超能力みたいなのは、準魔法ってことになるんだ。ってどうして知ってるの?」
「ああ、悪いとは思ったが、さっき確かめさせてもらった」
 敬一は指を組んで膝の上に置く。
「え、いつ?」
「ラーメン屋で」
「あ、もしかしてあの時のチョップ?」
 敬一は頷く。
「あれ、私が頼んだの。その……前々から怪しいなぁって思ってて、確認しないといけない事情が出来たから、それで……」
「そう、だったんだ。黙ってて悪かったかな? 前に、シガンから出来るだけ隠してた方がいいって言われてたから」
 シガンがそう言った理由も今なら良く分かる。彼は、そうさせることで僕が組織に関わるのを避けようとしていたのだろう。
「政樹は、予知みたいなのが出来るみたいだけど、その力は?」
「予知とは少し違うみたいだよ。えっと、説明すると――」
 僕は簡単に自分が生まれつき持っていた能力について説明した。
「なるほどね。どおりでお前の嫌な予感が当たるわけだ」
 納得したように敬一が言う。
「気配察知、ね。へえ、政樹は生まれつきなんだぁ」
「それで、事情って?」
 そうそう、と涼子は再開する。
「さっき話したよね? 組織が魔法の素養のありそうな人物を誘拐してるって。最近話題の、バスが失踪したりする事件って組織が起こしてるの。不特定多数を捕らえて、使えそうな人材を確保するために。昨日も、この街であったわ」
「昨日? もしかして、傷バスが?」
 傷バスというのは、昨日僕が乗りかけて止めたバスのこと。事故にあったような傷が特徴的で、通称は傷バス。この街のちょっとした名物である。
 言うと、涼子はこくりと頷く。あの時に感じた気配は、このことに対するものだったに違いない。
「政樹、知ってたの?」
「いや、そのバスに乗りかけただけだよ」
 紅茶を飲み干し、僕は涼子が続きを話すのを待った。
「それで私、もし政樹が本当に魔法使いで組織の人間が政樹に接触したりしたら、連れて行かれちゃうかもしれないって思って。私、心配で……」
「そう、心配してくれてたんだ……。ありがとう。じゃあ、さっき来てくれたのも?」
「うぅん。さっきのは偶然。なんだか、今日は外国の人をよく見るなぁって思ってたら、同じ人がずっとついてきてたの。で、政樹と別れた辺りで敬一が、一昨日くらいに会った人だって言うから、もしかしたらって思って引き返して、様子を見てたら案の定だったの」
 ふう、と涼子は息をつく。
「それで、傷バスはどうなったの?」
「一応、無事。私と敬一で何とかしたわ」
「何とかしたって……、どうやって? 相手は魔法使いなんでしょう? 僕だって殺されかけたのに」
 すると、涼子の代わりに敬一が口を開いた。
「涼子が、な」
「涼子?」
 見やると、涼子は難しそうな顔をした。敬一が軽く息を吐く。
「ま、色々あったのさ、昨日は」
「色々って、何があったの?」
「ああ、まあ……そうだな――」
 手で口元を覆うような仕草を見せる。
「連中、バスに乗ってた人間全員を、バスごと誘拐しやがったんだ。俺も聖美も含めて。そんで魔法使いになれそうな人間を、どうやったかは知らないが見分けてな、そうじゃない人間とは別々の場所に監禁したというわけさ。俺一人だけだったがな」
「そう。敬一も魔法使いなんだ? なんとなくそうじゃないかとは思ってきてたけど」
 敬一は軽く首を横に振る。
「魔法使いって言われても全然実感ないな。涼子みたいにはまだ使えないし、なにより、いきなり魔法使いだって言われても実感なんか湧かない。お前だって、そうだろう?」
「うん。僕もそうだよ。生まれつき持ってた力が、たまたま準魔法って呼ばれてたってくらいにしか感じてないな。魔法って言われると、なんか大袈裟だし、現実味もないね」
「でも、本当にあるんだよ」
 涼子がやや不服そうに言う。
「分かってるよ。信じないわけじゃないって。僕だって魔法って呼んでも差し支えなさそうなモノ見てるし。ただ、こういうのを魔法って呼ぶのはまだ抵抗があるんだ。漫画とかによく出てくる言葉だから」
「そうなの? 私は、あんまり抵抗無いけど」
「まあ、人それぞれって事だ。それに、抵抗の有る無し、信じる信じないに関わらず、魔法というモノは存在する。それは変わらないだろう? 小さい事さ」
 敬一の言い分に、涼子は頷いて答える。
 んで、続きだ。と敬一は話を戻した。
「捕まって、部屋に一人にされてな。扉が開いたかと思ったら、連中の一人がぶっ倒れて来て、外を覗いてみたら涼子がいたんだよ」
 敬一は涼子に視線を向ける。
「お互いに驚いたが、まあ、驚いてる場合じゃないってことで、他の、聖美たちを助けに行ったわけだ」
 と、敬一はコーヒーに口をつけ、数秒間黙る。
「……この辺は、涼子の方が詳しく説明出来るんじゃないか? 俺より、お前の方が沢山話すことあるだろ?」
 涼子はそうね、と答え、敬一の代わりに話し出す。
「私は、もう随分前に組織に酷い目に遭わされたことがあって、それで、魔法も使えて、組織が使う連絡網も、傍受できるの」
「随分前に組織に?」
 訊くと、涼子は少し辛そうな顔をする。
「それは、訊かないで……」
「ごめん」
 随分前、か。
 僕がこの街に引っ越してくる前の事だろうか。きっとそうだ。
 彼女が、僕以外にはあまり明るく振る舞わなかったことや、だんだん誰にでも明るく振る舞うようになっていったことにも、関係があるだろうか。
 涼子が話を再開し、僕の思考の流れを変える。
「それで、また新しい構成員を得るために傷バスを襲うことも、アジトの場所も分かったんだ。この街にシガンがいるって話も聞いてたわ。まさか、政樹のことを言ってるとは思わなかったけど」
「でも多分、僕はシガンじゃないよ」
「うん、分かってる。それで、アジトに向かったの。まずは捕まってる魔法使いがいるなら、助けて手伝ってもらおうと思ってたの。そしたら、それが敬一だったの。私だって、驚いたよ」
 敬一に視線を向ける。
「まあ、あの場で二人が出会う可能性もゼロじゃなかったわけさ。現実は小説より奇なり、ってな」
「可能性、ゼロの近似値だったけどね。私が組織の人間を引きつけて、その間に敬一に捕まってる人達を外にまで連れて行ってもらったの。彼女もいたから必死だったよね、敬一?」
 と、涼子は笑みを見せる。
「ああ、まあな。傷バスも外に放置してあって運が良かった。でも、そこにいた敵の八割を気絶させるって、引きつけているって言えるのか?」
「あれはしょうがなかったの。しつこいんだもん」
「魔法使いが相手、だったんだよね?」
「うん。組織の構成員はみんな、魔法使いよ。一部、魔術しか使えない人もいるけど」
 正直、脱帽する思いだった。
「凄い、な。涼子は。敬一も。僕なんか、一対一でも逃げることすら出来なかったっていうのに……」
 すると、そんなことないよ、と涼子がすぐ否定した。
「話に聞いた通りの人物なら、政樹を襲った人、凄い使い手よ。逃げられなかったとしても、助けが入るまで生きていられたっていうのは凄いことだよ」
「どうかな。他の人が相手でも同じだと思うよ。でも、敵の八割もやっつけるなんて涼子も相当な使い手なんだね?」
「そんなことは、ないよ。多分、そのコートの人とか、イリアって子よりも実力は下だと思う」
「それでも、凄いよ」
 言って、時計を見た。すでに午前になっていた。
「あ。もう日付が変わっちゃってるね」
 え、と涼子も壁の時計を見上げる。
「それじゃあ、今日はこれくらいにして、そろそろ寝ない? 私、一応、いま話すことは話したと思うけど」
「うん、そうだね。あ、でもその前に質問いい?」
 いいよ、と答えが返ってくる。
「組織って、誘拐したり魔法使い探したりしてるみたいだけど、何が目的なの? 誘拐されて、帰ってくる人がほんの数パーセントしかいないのは何で? 他の人達はどうなっているの?」
「一度にそんなには答えられないよ」
「あ、ごめん」
 涼子は、ゆっくりと一つ一つ疑問に答えてくれた。
「まずね、誘拐されて魔法の素養があった人物は組織への参入を求められるの。拒否しても洗脳されるらしいわ。それで、もと住んでいた場所に帰される。必要な時に、連絡が来て任務を遂行するの。そして、魔法の素養の無かった人物。殆どはこれに当たるけど、この人達は、……魔法や、魔術の実験台にされるわ。多分、生き残ってる人はいない……」
 その事実にひどく嫌悪感を覚える。憤怒の念が込み上げてくる。
「なんでそんなことを。じゃあ、涼子が助けに行かなかったら――」
「死ぬことになっていた、だろうな。聖美も、他の連中も……俺以外はみんな」
 敬一が指を組んで言った。視線はやや下に向けられている。
「組織の目的なんか、関係ないわ。あの人達は、沢山の人を殺してきてる。そんな連中なのよ。あのイリアって子だってその一員。大切な人を亡くす哀しみを、沢山の人に与えてるの」
 ゆっくりとした口調だったが、その声の裏には怒りが見える。
 随分前に酷い目に遭わされたと言っていた。大きな傷を心に残しているのだろう。そこには触れてはいけない。
 そう思った矢先、敬一は言い放つ。
「涼子。お前、何か隠しているんだろう?」
 涼子は視線を敬一には向けず、答えない。唇を噛んでいた。
 止めようと口を開きかけるが敬一の方が早かった。
「そうだ。言わなくていい」
 涼子は予想外といった様子で敬一を見る。
「言いたくないなら言わなくていい。無理に話そうなんて思うなよ。そのうち、話せるようになったら聞かせてくれればいいさ」
 敬一は立ち上がり、そうだろう? と僕に言った。僕は笑って、そうだ、と答えた。
「んじゃ、組織とどう折り合いつけるかは明日話すとして、今日はもう寝よう。部屋は空いてる部屋を適当に使ってくれ。風呂は沸かしてある。タオルとか洗面所にあるものは勝手に使っていい」
 言いながら敬一は、テキパキと空になったカップを盆に載せていく。
「ありがとう」
 涼子の言葉が聞こえなかったかのように、敬一は台所に消えた。その様子から敬一の気持ちを読みとり、涼子に伝える。
「礼を言われるほどのことじゃない、ってさ」
 
 
 次の朝。目覚めると覚えのない部屋で僕は寝ていた。
「こ、ここはっ――」
 飛び起きて辺りを見渡す。明らかに自分の部屋ではない。寝起きの思考が急速に目覚め、状況が一気に明確になる。
「――ここは……敬一の家だったっけ」
 自宅以外の場所でリラックスして熟睡していると、たまにこんな大ボケをかます時がある。毎夏の旅行で泊まる旅館でも同じことを何度もしている。
 そういえば、旅行はどうなるだろう。
 時計を見ると十時を回ったところだった。
 敷いていた布団を片付け、部屋から出る。着替えなんて持ってきていなかったので、服装は昨日と同じ制服である。
 階段を下りてリビングに顔を出すと、涼子と敬一がいた。涼子は制服で、敬一は私服である。
「おはよう」
「おはよう。お寝坊さんね」
「お腹空いた」
 敬一に向けて言う。
「俺には挨拶無しかよ。しかもカケラも遠慮してねぇし」
「そうだ。カレー作ろう、カレー」
 昨日座っていた席に座りながら提案する。
「ああ? 無粋な奴だな。日本の朝飯は白飯にみそ汁だ。カレーは夕飯にとっとけ」
「うちの朝はトーストなんだけど……」
 涼子の言い分を無視して敬一は台所に消えた。手伝いに、僕と涼子も台所に向かう。
 案の定、用意されていたのは和の朝食だった。
 朝食の席。
 和やかに食事が進む。組織の話題は出てこない。夏休みをどう過ごすかの話に始まり、宿題の話に移る。
「二人とも、出来れば今年は早めに終わしておいてね。結構きついんだよ、徹夜で付き合うの」
「私は、今年こそはちゃんと終わすつもりよ」
「俺はスパートに磨きをかける」
「……あっそ」
「なに、今度は徹夜とまではいかないだろ」
「もとから手伝ってもらうつもりなんだね」
「あ、政樹、ピンチの時には私も、お願い」
 ふと思ったことを口にする。
「なんか、毎年同じようなセリフ聞いてるような気がする」
「デ・ジャヴってのは人の見る夢に関係しているそうだぞ」
「っていうか、確実に毎年似たようなこと言ってるよ君たち」
 食事が終わった後は、三人で分業して食器を洗う。なんとなく、楽しい気分だった。
 リビングでくつろぐ。敬一はビデオを見ていて、涼子はどこからか見つけてきた雑誌を読んでいた。僕は昼寝でもしようかと、座り心地の良いソファに座っている。
「で、これからどうするか、だ」
 声が聞こえて目を開けると、敬一はビデオを止めていて、涼子も雑誌をテーブルに置いていた。実感はないが、少しのあいだ眠っていたらしい。
「私は、出来るならこれ以上は関わりたくないけど……」
「そうもいかない、かな。個人情報はあがってないと仮定しても顔は見られちまってる。そのうち報復してくる可能性は高いな。それに、二度とこの街で連中が行動しないとも限らない」
「何かあったらその度に臨機応変に立ち回るしかないわね。相手が諦めてくれるまで。せめてこの街のことくらいは、私たちで何とかしたいけど……」
 ほんの少し前に見せていた様子とは一変して、二人とも真剣な表情だった。
「なら、それでいい。それが俺たちの限界だろうからな」
 ちょっと待ってよ、と口を挟む。
「警察に知らせるとか、出来ないの? 他の事件の時はともかく、今回は誘拐された人は全員帰ってきてるから、証人だって沢山いるでしょ。少なくても調査くらいはしてくれるんじゃ――」
「駄目なの」
「え?」
 涼子の声が僕のセリフを遮った。
「敬一は別室にいたから別だけど、捕まった人達はみんな記憶が消されてるわ。時限式の記憶消去。魔術の一つね。あの日の夜に起こったことは何も覚えてないみたい」
「そう、か。僕たち三人が騒いでも、信じてもらえないだろうし。じゃあ、魔法を使って見せるとかは?」
「トリックの一言で一笑されて終わりよ。一目見て誰でも魔法だ、って思うような事なんてそう出来ないし、やっても危ないんだから」
「そうなんだ……。じゃあ、僕たちは組織に対して、殆ど何も出来ないじゃないか。自分たちの生活と、その周りだけを守ることだけで精一杯。それすらも、出来ないかもしれない……」
「悔しいけど、これが現実ってやつなんだろうよ」
 敬一は悔しげに、左掌を右拳で殴った。
「なんとかしたい気持ちは痛いほど分かるが、俺たちは三人しかいない。下手に行動しても潰されるだけだ」
「せいぜい文殊の知恵を絞り出すことくらいしか出来ない、か」
 結局、僕たちが話して決めたことは二つ。
 組織の構成員に襲われるようなことがあれば、まずは逃げ、残りの二人にすぐ連絡すること。
 組織がこの街で何かするようなら何とかしてそれを阻止すること。
 それだけが決まり、解散となった。僕と涼子は途中まで一緒に帰り、分かれ道で別れた。なんとなく名残惜しい気がしたけれど、そんなのは気のせいだと割り切る。
 一人、帰途についた。
 ここ数日にあったことを考える。
 渦のように流れる思考の中、イリアの事が思い浮かぶ。彼女が僕を助けてくれた時。公園で出会った時。
 どちらの時も、微塵も危険な気配は感じなかった。イリアが涼子と敬一に向けたと思われる敵意の中に危険の因子があったことは確かだが、それは死というものからは遠くかけ離れていた。
 あのとき対峙したのが、あのコートの男だったなら、僕に向けられたものでなくても、死の気配を感じただろう。
 明らかに、イリアはコートの男とは違うのだ。
 それどころか、彼女は友好的だった。組織の人間であることに違いはなさそうだが、僕は、彼女が人殺しに荷担するような人間には思えなかった。
 ふと足を止める。
 曲がり角。一戸建ての塀に阻まれて、曲がった先に何があるかは見えなくなっている。ミラーが設置されているがそこには特に変わったものは映ってはいない。
 立ち止まったままいると、角から人影が現れる。
 イリアだった。
 短めの濃い藍色の髪が風に揺れる。昨日と服装は違うが、動きやすそうな格好という点で変わりはない。
 別段、驚きもしなかった。なんとなく、今日はこんなこともありそうな気配がしていた。
 どこからか蝉の鳴き声が聞こえる。鋭い日射しと時折吹く風。湿気が少なく気持ちのいい空気。僕が待ち望んだ、夏という季節の存在を五感を通して感じていた。
「こんにちは。暑いですね、今日は」
「うん、こんにちは。夏だからね。暑くなかったら夏じゃないよ」
「これから一緒にお食事でもいかがですか?」
「もしかして一晩中、張ってたの?」
 イリアはやや微笑む。
「そんなところです。お一人になるのをお待ちしていました」
「積極的だね」
「それが仕事ですから」
「OK。いいよ、その辺の喫茶店にでも入ろうか」
 涼子や敬一なら、敵意を剥き出しにするだろう。僕だって本当なら、不本意ながら敵と見なすところだ。
 ただし、それは涼子から聞いた情報だけで判断した場合。涼子を信用しないわけではないが、人間を一側面だけで判断してはいけない。
 僕の信条は、平和と平穏を保つことだ。相手の人格を見誤ったためにそれらが壊れる時だってある。そんなことはしたくない。
 僕たちは、適当なところで喫茶店に入った。初めて入る店だった。
 メニューを見る。カレーはない。
 少し落胆し、結局、サンドイッチと紅茶を注文した。イリアもサンドイッチを注文する。飲み物はオレンジジュースを注文していた。
 店にはかなり客が入っている。夏休みで昼時なら当たり前かもしれない。ざわざわと、少しうるさい気もする。有線から流れてくる曲が特定できない。
 一応、会話に支障はなかった。
「落ち着いていらっしゃいますね」
「うん、まあね」
「昨日の方から大方の話は聞いているのでしょう? 私が現れたら、もっと慌てるものかと思っていましたよ」
「そうだね。別の人――例えば前に僕を襲ってきたコートの人が出て来たんだったら、僕も慌てて逃げ出してたよ。逃げられないだろうけど」
「じゃあ、私だったから落ち着いているのですか?」
「君、前に会ったとき、僕に危害を加える気は無いって言ってたでしょ。だから、さ。まともに話くらいはしておこうと思うんだ」
 サンドイッチを一つ口の中に放った。
「信用していただいているんですね」
「害意がないという部分はね。君という人物を信用するかどうかは、これから次第だろうけど」
「はい。そう、ですね」
 緊張したように背筋が伸びる。目から読み取れる真剣さも少し大きくなった。
 真面目な娘なのだろう。夏休みに宿題が出されても、自力で全部やり終えて堂々と二学期に登校するタイプに違いない。どっかの誰かさん達とは違うのだろうな。
「それで、今日はどんな御用?」
「はい、率直に言います。私達の組織に加入していただきたいのです」
 言って、イリアは持っていた鞄から何かを取り出す。
「今、加入していただければ、この『魔法・魔術大辞典』とワガンくんキーホルダーがもれなくついてきますよ」
 と、辞書のように分厚い本と、ローブを着込み帽子を被った二頭身のマスコットキャラクターらしき物のついたキーホルダーをテーブルに置いた。
「……」
 硬直。そして沈黙。
 色々と、本当に色々とツッコミを入れるべき所があり、僕自身、色々とツッコミを入れたいところなのだが、イリアがあんまりにも真剣な眼差しを向けるものだから、何も言えなくなってしまった。
 間を保たすため紅茶に口をつける。
「加入費も必要ありませんよ?」
 そういう問題じゃない。
「ちょっと……待って」
 はい? と動きの止まるイリア。
「えっと、なんで僕を組織に入れたいの? 僕は、魔法使いじゃないんだよ」
 嘘をついた。涼子から教わった定義に基づけば僕は準魔法使いだ。そのことが知られていないと踏んで、僕は訊いた。
「いえ、あなたは先代シガンから逆魔法を継承している筈です。シガンが最後に接触したのはあなたしか考えられないのですから」
「その継承って、なにか儀式みたいなのが必要なんでしょ? 僕は、確かにシガンの最期に目の前にいたけど、それらしいことをした覚えは無いよ」
「そんな筈は……」
 顔をしかめ、視線を落としてしまう。見ていて少し居たたまれない。
「まあ、その辺はいいや。もしかしたら僕の知らないうちに何かされてたのかもしれない。あの人ならやりかねないから」
 また一つサンドイッチを口に放り込む。見てみると、イリアは自分の分に手もつけていなかった。ジュースが少し減っているくらいである。
 イリアは依然、下を向いたままだった。
 僕は小さくため息をつく。
「じゃあ、その儀式っていうのがどういうものか教えてくれない? そういうことがあったかどうか思い出してみるから」
「あ……、はい」
 顔を上げ、イリアは答える。
「継承する方法は数種類かあるようですが、私たちの中で一番知られているのは、亡くなる直前に次の継承者と接触するという方法です」
「……接触?」
「はい。こう、握手のように……」
「な、なるほど」
 なんだかヤバそうな気配だ。
 儀式と聞いて、もっと厳格なもの想像していたというのに。これは、つまり、イリアの言うことが正しいなら、僕は逆魔法を継承してしまっているということだ。
 シガンはなんで一言も言ってくれなかったんだ。言う暇が無かったのは、分かるけど。何を考えて僕なんかに……。
「覚えはありますか?」
「……そういえば君、日本語上手だね」
「え? あ、はい。同じチームだった日本人に教えていただいたんです。故郷では教師をなさっていた方とか」
「へえ。もしかして日本語以外にも喋れる?」
「ええ。英語と日本語の他に、中国語とフランス語、あとスペイン語も」
「それは凄いなぁ。五ヶ国語も話せるんだ」
「そんなでもありませんよ。もっと話せる人だっていますから……」
 はにかんだ表情を見せる。
 悪いことをしたとは思うけど、取り敢えず僕が逆魔法を継承しているらしいことを明言しなくても済みそうだ。
(そう言えば、状況が悪くなると話題を変える癖があるって言われたっけ)
 通用する相手でよかったと思う。
「さて、話は変わるけど……」
「はい。それで、覚えはあるのですか?」
 通用してなかった。
 苦笑い。
 黙って残りのサンドイッチを食べた。次いで、紅茶も飲み干す。
「……あるよ」
 色々と覚悟して、僕は言った。ヤバそうな気配の正体に出くわすことになっても仕方ないだろう。
「シガンに頼まれて、僕は手を握ってあげたんだ。その後、すぐにシガンは亡くなったよ。それが儀式というものなら、僕は逆魔法を継承していることになる」
「そうですか。なら、間違いありませんね。やっぱりあなたはシガンです」
 イリアはどこか嬉しそうに言った。
「では、改めてお願いします。組織への参加して下さい」
「どうして?」
「え?」
 目を真ん丸くした。
「どういう理由で僕――逆魔法使いを組織に組み入れたいの?」
「それは……。私はただ、命令を受けて来ているのでよくは知りません。けど、シガンの力が必要だからだと思います。先代シガンも参加していましたし」
「シガンは追われてたよ。組織を抜けたみたいなことも言ってた」
「そう、ですけど……」
 ふう、と息をついて席に寄り掛かる。
「まあいいや。どんな理由があったとしても僕は組織に参加するつもりは無いから」
 イリアが身を乗り出してくる。
「そんな! 何故ですか?」
「分からないかい?」
 イリアを真正面に見据えて言った。気持ちは切り替えて、今までより真剣な顔をしたつもりだ。落ち着いたのか、イリアはゆっくりと座りなおす。
「……お金、ですか?」
「見損なってもらっちゃ困るよ」
「すみません」
「僕は、人殺しをするような集団に加わることも、その手伝いをすることもしたくはない。それ以上の理由は、必要無いよね?」
 ヤバそうな気配は、どんどん濃くなっている。怪我をするとか、そういう類の感じではないから、嫌悪感もあまり感じないのだが……。
 イリアはやや俯いて黙っている。何かを考えているのか、それとも別の理由か。よく分からないが、彼女は黙ったままだった。悩んでいるようにも見えるのは、僕の気のせいだろうか。
 ややして、イリアは顔を上げる。
「分かりました……」
「そう。じゃあ、諦めてくれる?」
「いいえ、諦めません。一筋縄ではいかないようなので少し強引な手を使わせていただきます」
 気配の濃さがたった今、臨界点に達した。つまり、何かヤバそうな事が次の瞬間から始まるということだ。
 身体の緊張はなるべく抑え、イリアの動きを警戒し、いつでも逃げれる準備をする。店の伝票の上にお金を置いておいた。
 強引な手とは一体なんだろう。
 誘拐か? 洗脳か? 拷問か?
「あなたを説得します。これからお時間いいですか? 私の話を聴いて下さい」
 一気に脱力して頭を下げる。
 もう、何がなんだか。
「君さ、なんだか僕のイメージと違うね」
「はい? そうですか?」
「うん。バスごと誘拐したりとかしてるから、もっと極悪な組織だと思ってたけど君みたいな、その……、そう、平和主義者もいるんだね」
「極悪、ですか。そうですね、私もそう思う時があります……」
 悲しげに、イリアは言った。
「けど、それには全部理由があることで、必要なことなんだって割り切ってます」
「僕に対しては割り切らないのかい? 極悪な手をつかって組織に参加させることだって出来るんじゃないの?」
 大きく首を振る。
「そんなことは、無いです。必要となれば、私だって……」
 左手を胸に当て、一呼吸おいてイリアは続ける。
「私たち勧誘員には、交渉期間として二週間の時間が与えられています。それが過ぎれば、相手を力ずくで拘束しなければなりません。けど、そんなの嫌じゃないですか。自分たちの仲間になるべき人を力ずくで従わせるなんて。私は、あなた自身の意思で、組織に参加して欲しいんです。だから、まずは私たちの思想を分かって欲しくて……」
 イリアは真剣だった。組織に参加する、しないに関わらず、その真剣さには相応に応えなければならないと思う。
「分かった。じゃあ、話を聴くよ。もし僕の心を動かすようなことなら、誰に言われなくても僕は組織に参加するだろうし」
 瞬間、イリアの顔が喜びに染まる。
「あ、ありがとうございます」
「いや、まだ参加するとは言ってないよ」
「はい、分かってます。けど、嬉しいんです」
「あ、そうだ。交渉期間は二週間だって言ってたよね?」
「ええ。残りは、今日も含めて十二日間ですけど」
「ならその間、この街で活動するのは止めてくれるように組織の人に言ってくれないかな。あと僕の友達に手を出すつもりなら、それも止めて欲しい」
 イリアは一瞬迷った様子だったが、僕の目を見ると承諾してくれた。
「ありがとう」
「いえ、こちらの方が、ずっと重要な仕事ですから」
 と話を始めようとする。ふと気付き、それを遮る。
「ところで、そろそろサンドイッチ食べないと、美味しくなくなるよ?」
「え? あっ。はい」
 イリアの話は、彼女の食事が終わってから始まった。
 
 




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