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≪SUMMER OF MAGICIANS≫




 
陸 青空の下で
 
 
 
 二学期の始業式から一週間が過ぎて、夏の終わりも近付いてきている雰囲気があった。かと言っても残暑はまだ厳しく、購買で売られるアイスクリームはまだ人気を保っている。バニラが売り切れていたので今日は買わなかった。
 僕は夏が好きだ。秋も嫌いではなく、むしろ好きなのだが、晩夏にもなってくると寂しさを感じることも珍しくない。
 けど、今年は少し違う。真夏に入る前からずっと、寂しさが心に巣くっている。僕が亡くしたモノは、毎年必ず会える夏などよりずっと重い。
 授業が終わってすぐ、屋上へ出た。眩しい日射しが出迎えてくれる。少し前までの暴力的な振る舞いを思うと、今では随分と紳士的になったと感じる。そんな太陽の友人である青い空には白い雲がちらほら。風も吹いて頬を撫でていく。
 涼子――最初の涼子は、あの日の翌朝、目覚めた。僕の知っている涼子の演じていた通りの女の子で、事情も全部把握していてくれていて話は早かった。
 僕は便宜上、最初の三上涼子のことは『三上さん』と呼び、僕のよく知る涼子のことは変わらず『涼子』と呼んでいる。
 三上さんは、涼子がしたように、今は演じて生活している。いきなり性格が変わったのでは変に思われるから、だ。
 三上さんが演じる涼子は、そっくりで、本当に何もかも涼子と同じなのに、他の誰も気付かないような小さな仕草一つで涼子ではないという現実を突きつけられてしまう。
 教師からの頼まれ事もちゃんと断るようになった。
 少しずつ少しずつ、その振る舞いが本当の三上さんに近付いていくのが分かる。けど、そんな彼女を見る度、僕は胸が痛くて目を逸らす。
 思えば、新学期が始まっても、彼女とまともな会話一つしていない。お陰で、僕と涼子の噂はあっという間に姿を消した。こうなるのも当たり前だろう。僕らの前にいる三上涼子は、涼子ではないのだから。
 そう言えば、今年の夏休み最終日には誰も来なかった。去年までは、涼子と敬一で押しかけてきて、夏休み最後の時間を騒ぎながら汗と涙で戦い抜いていた。
 それが、今年の始業式の日には敬一も三上さんも、自力で宿題は全て終わらせていた。
 ああ、違うんだなと、そう思った。二人がそれぞれの教科担任にノートを提出する光景を見て、もう、二度とあの日々は戻らないのだと、分かってしまった。
 日常は流れる。同じ日は二度と来ない。毎日、必ず何かしらの変化がある。それが無ければ、誰も好んで人生を送ったりはしないだろう。
 けど、だからってあんまりではないか。
 あまりにも不公平ではないか。
 僕の周りの多くの人間達は、大した変化もない日常を送っている。それを退屈だという者さえいる。彼らにとって、三上涼子は死んではいないのだ。三上さんという存在があるから。
 でも僕や敬一にとっては違う。涼子は死んだ。もういない。でも三上涼子という人物は目の前に残った。
 その違いが、あまりに不公平に思えている。
 僕らの他の誰の記憶にも、涼子は残らない。そして、僕らにだけ涼子の思い出と深い悲愴が残る。
 他の人たちには小さな変化。僕らには大きく哀しい変化。
 それでも僕らの気持ちなど無視して日々は流れてきた。それがひどく寂しくも思う。
 屋上の備え付けのベンチに座って目を瞑っていると、多少、暑いながらも気持ち良く、眠りたくなってくる。
 放課後に居眠りしてしまっては、校舎に鍵を掛けられ帰れなくなってしまうかもしれない。そうなってはまずいと、どうにか睡魔を振り切って目を開けてみると、いつの間にか敬一が隣のベンチに座っていた。
 よお、と敬一は敬礼の様な角度と高さに右手を上げた。やあ、と答えるだけ答えて、僕は何も言わない。
「これからまともな会話をしようと思うが、そういうのも久しぶりだな……」
「そうだね」
 敬一とは、あの旅行の後は一度会っただけで、まともな会話するのは本当に久しぶりだろう。
「ずっと考えていたんだ。なぜ魔法という超能力みたいなのが存在して、なぜ俺たちが魔法使いになっちまったのか……」
 前屈みに膝に肘をつけ指を組み、中空を見つめ敬一は言った。
「答えが分かったの?」
「いや、分かるわけないだろ」
「そりゃそうだね。そう簡単に分かるわけないか……」
 お互い少し黙り込んだ後、敬一がまた口を開いた。
「聖美には知られちまったよ。俺が、妙な力を持ってるってこと」
「知られた? どうしたの、それから」
「どうもしなかったよ。魔法だってことを教えてやった。それだけで、何も変わらなかった」
 そう、と相槌を打つ。
 そして、僕も考えていたことを口にする。
「ワイズマンは、自分の娘さんを生き返らせるために人類淘汰をしようとしてたけどさ――」
 ああ、と今度は敬一が相槌を打つ。
「――彼が人類淘汰してしまったら、どこかで転生しているはずの娘さんを、今度は自分の手で殺してしまうことになるんじゃないかって、思うんだ」
 少し黙り込んでから、敬一は小さく息をした。
「それに気付きながらも実行しようとしていたのか。それとも、気付くことすら出来ないほど夢中になってしまっていたのか」
 ワイズマンの記憶を見てしまった僕だが、僕が見た範囲に、その答えは無かった。
「今となっては、もう、分からないね」
「そう、だな」
 そうしていると、もう一人屋上に現れた。容貌はよく知っているけど、あまり会話したことはない。
「じゃあ、俺は行くぜ」
「なんで」
「用事があるんだ。それに――」
 立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる女生徒を一瞥し言った。
「――俺はもう、彼女と話すべき話はした」
 三上さんとすれ違い、敬一は屋上から去っていく。僕は立ち上がり、数歩前に進んで三上さんと向き合った。
「こんにちは」
 挨拶されたその声が僕の知ってる人そのもので、僕は返事に遅れてしまった。慌ててこんにちは、と返す。
 真っ直ぐ目を見ることが出来ず、視線を逸らした。
「藤堂君、私のこと避けてるんですね」
「そういうつもりじゃないんだ。ただ……」
「いえ、それでいいんです。藤堂君が私と向き合うのが辛いんだってことは、分かりますから」
 胸に手を当て、やや顔を下げたようだった。
「なら、僕の前にわざわざ現れるようなことは、しなくてもいいじゃないか……」
 彼女の目を見ず、言葉を紡いだ。
「そう思います。でも、幾つか伝えておかなければならないことがあるんです。少しだけ我慢して下さい」
 ああ。となんとか頷く。
 三上さんは落ち着けるように息を吸った。
「もう一人の私は、こうなってしまうことを予感していたみたいです」
 僕はそのまま、何も言わず何もせず、彼女の言うことだけに耳を傾ける。
「それで、旅行の時は少し焦ってたみたいなんです。早く、藤堂君に自分の気持ちを伝えておかなくちゃって」
「……そう、だったんだ」
 小さく、声がこぼれた。
「本当に……藤堂君のことが好きだったんです。だから、色んなことを隠してきたことについて悪く思わないであげて下さい。彼女、口には出さなかったけど、ずっと気にしていたんです」
「心配しなくてもいいよ。僕や敬一は、そんな風に思ったりはしない。彼女が、気にしすぎていたんだ」
「ありがとう」
 三上さんが口にした、そのたった五文字の単語が、まるで涼子が言ったように聞こえてしまい、僕は唇を噛んだ。
 急に周りが暗くなる。なんだろうと見上げてみると、流れる雲が太陽の光を遮っていた。
 あの雲はどこから来てどこへ行くのか。生まれてから消えるまで果てしない空の旅を続けるのだろう。
(……空の旅、か)
 雲の影が通り過ぎていくのを見届け、僕はやっとの思いで口を開けた。
「三上さん。君、何か夢はある?」
 夢? と、面食らったような様子で洩らす。
「いえ。私には、特にありません」
「そう……」
 また空を見上げる。青々とした空気の中には燦然と輝く太陽がいて、陽の光を反射して白く輝く雲が風任せの旅を続けている。
「ごめん、三上さん。あのブローチ、僕に返してくれないか?」
 しっかりと目を見て僕は言った。
「僕が、もう一人の君にあげた物で、形が残ってるのはあれだけなんだ……」
 こくんと三上さんは頷いて、制服のポケットからブローチを取り出した。シンプルな作りで、それ故に悪くないデザインの、安物。
 そんな僕と涼子の思い出の品を、三上さんは惜しげもなく差し出してくれた。
「私も、これはお返しするべきだと思ってました」
「……ありがとう」
 受け取り、ハンカチでそれを包みポケットに仕舞った。
 彼女に背を向け、屋上の金網へ歩み寄る。そこから見える街を……今まで何度も涼子に連れ回された町並みを見下ろし、目を瞑る。
「最後に訊くよ」
「はい。なんですか?」
 僕のすぐ後ろで三上さんが答える。振り返らず、目も開けない。
「……彼女が僕を好きでいてくれた気持ちは、今はどうなっているの、かな?」
 答えはすぐには返ってこなかった。しかしそれほど長い間が開くこともなかった。
「今は、私の……思い出の一つになっています」
 それは、つまり――
「――あの気持ちは、もう私には戻ってきません。私は藤堂君のこと、色々知ってしまったけど、好きにはなれないと思います」
 涼子の声で言われるとかなり辛いけど、それでも僕は、うん、と大きく深く頷いた。
「それでいいと思う」
 振り返り目を開け、さらに続けた。
「僕も君のことは好きじゃない、から」
 真っ直ぐ歩いて三上さんの横を通り過ぎる。ありがとうと、さようならを言おうと振り返ろうとした時、強めの風が吹いた。
 そして目に飛び込んできたのは、長い髪を風になびかせる彼女の姿だった。僕に背を向けているその様子が、あの日僕の目に焼き付いた、夕焼けの中で長い髪を風になびかせている涼子の姿に重なって見えた。
 思わず目を逸らし、また背を向けた。
 つらいな、と心で呟く。まだ僕は、三上さんとまともに会話するのは難しい。
 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、三上さんは言った。
「私、髪を切ろうと思っているんです」
 風がおさまったのを感じ、もう一度振り返った。三上さんはこちらに振り返っていた。
「……ありがとう」
「お礼を言われるようなことじゃ、ありませんよ」
 軽く頭を下げ、さようなら、と別れの挨拶をし背を向けた。今度こそ僕は屋上から去る。
 下りの階段で、彼女から受け取った物をポケットから取り出し、軽く握り締めた。この小さなブローチには、大切な思い出がたくさん詰まっている。
 僕の手に残った、たった一つの、彼女を示す物。
 明日は、学校サボって少し遠出をしよう。
 そう決めて僕は下校した。
 
 




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